『BURRN!』3月号に掲載されたBABYMETALに関する小さな論評

2020年2月9日 Text by たろ a.k.a. TAROO-METAL

『BURRN!』3月号の特集「2010年代の名盤」で,AKIHISA OZZAWA氏がBABYMETALについて冷静なコメントを記している。

BABYMETALは日本のみならず世界の音楽市場,とりわけヘヴィ・メタルあるいはヘヴィ・ロックのシーンにおいて,独特の輝きを放つ,極めて異質な存在だ。そのコンセプトと音楽性はユニークのひと言に尽きる。「BABYMETALは単なるメタルではない。もはや現象だよ」というアレックス・マイラス(『METAL HAMMER』誌の元編集長)の発言や,「聴いたら好きか嫌いかしかない。でも絶対に無視できない」というマーティ・フリードマン(ギタリスト)のコメントが,BABYMETALの異質性をよく表していると思う。

これだけユニークな存在でありながら,BABYMETALがシーンにもたらしている効果や存在意義を,まっとうな形で論評しているメディア(あるいは専門家)がほとんどいないのは,ちょっとおかしいと思う。特異であるがゆえに評価しづらいという事情はあるかもしれないが,「好きか嫌いか」「メタルか否か」というファンの感情論レベルでの評価しか下されないとすれば,それはあまりにももったいないというものだろう。

その点を踏まえれば,AKIHISA OZZAWA氏のコメントは,別企画のコメント中に挟まれた短文ではあるものの,感情的になることなく,中立的な立場から先入観にとらわれずに分析している点で好感が持てる。もちろん異論はあるだろうが,ここに記されているのは根拠ある一つの意見である。BABYMETALに関する多くの論評はともすれば「手放しで大絶賛」か「問答無用で却下」のどちらかになりがちだ。落ち着いた議論や評論が成立しづらい土壌がある中,どちらに肩入れするわけでもなく,冷静かつ客観的に論じている姿勢が評価できる。繰り返しになるが,BABYMETALの存在意義やシーンに与える影響を正しく評価するためには,このような姿勢が必要だと思う。

それでは,AKIHISA OZZAWA氏の見解を以下に引用する。なお,読みやすくするために文章を適宜改行した。

—————

2010年代のヘヴィ・メタル・シーンを語るにあたって避けては通れない,2010年に結成されたガールズ・ユニットBABYMETALについて言及しておきたい。

個人的には未だにどのように評価すべきか迷うところもあるのだが,“出過ぎた杭”的なビジネス・モデルとしてまったくのブルー・オーシャン戦略を貫いている点については少なくとも評価されるべきだろうと考えている。

是非はともかく,ヘヴィ・メタルとアイドルの融合というコンセプトは言うにおよばず,既存のロック・バンドのフォーマットをとらず,ヴォーカル&ダンス・ユニットやバック・バンド,プロデュースも含めた統率されたプロジェクト・チームとして成立しているのも興味深いし,CDより映像,映像よりライブ・ショウでプロジェクトのさらに完成した形を確認させる(音源はもはやポータルにすぎない)システムも徹底している。

カルチャーの多様性とグローバリティを,”象徴している”とまでは言わないけれども,パイオニアとして果敢に旧弊の壁を打ち壊し,追求しているのは間違いないところ。何より,ギリギリの線でキワモノにならない匙加減が絶妙だ。

BABYMETALの出現と世界的な認知によって古典的なヘヴィ・メタル音楽/ヘヴィ・メタル・バンドが駆逐されることは結局のところなかったし,これからもそんなことはないと言えるが,BABYMETALへの個人的な好き嫌いはさておき,ヘヴィ・メタルを軸とするオルタナティブな,そして何より新進の真摯なカルチャーとして世界的に受容されている現実は,文句なく歓迎すべきと今さらながら思う。

コメント

このブログの人気の投稿

ライブ参戦レポ/「NEX_FEST」に降臨!フェス仕様のBABYMETALは超攻撃的だった

レビュー/「BABYMETAL RETURNS - THE OTHER ONE -」度肝を抜く凝りに凝った演出にBABYMETALの本気を見た

ライブ参戦レポ/「NEX_FEST」で“Kingslayer”完全版をついに目撃